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映画「チャッピー」感想

 この記事は23日に書いています。

 映画「チャッピー」を観て来ました。
 ニール・ブロムカンプが手がける「ヒトとはナニカ」という問題を提起する名作でした。
 創造力。自身で感じ、考え、成長することができる人工知能を搭載したロボット「チャッピー」を通して、ヒトという種が持つ問題について問うてきます。ヒトは、既にゆるやかに滅ぶ道を歩み始めています。

 それは、ヒトが、創造することを諦めつつあるから。保存することはできても、新たに創造することのできる環境づくりができていないからです。チャッピーの進化の過程を見てみると。初期「怖い、なぜ?」。中期「ボクは生きたい。そのためにはどうすればいいの?」。後期「ボクはお前を許す」というものとなっています。
 後期のボクはお前を許すという台詞がすべてを物語っているような気もしますが、これはフィール的な問題であり、個々人によって感ずるところのある深い台詞です。「許してくれ」という「問い」に対する「解」がチャッピーのこの台詞です。

 あらゆる生命が持っている「種の保存」という枠から、ヒトははみ出しつつあります。それはヒト(自身)が滅んでしまうという恐怖心が薄れつつあるから。死ぬことの恐怖はあっても、それを実感することができないから。
 ここにヒトという種の現代社会が抱える問題があります。ヒトはただ敷かれたレールの上を歩くだけでいい。何も考えずに言われたとおりに、言われたことをやっていればいい。自分の手で考えるという創造力を破棄してしまう。

 作中でも、チャッピーを開発した天才でさえ諦めている「精神の保存(つまるところココロ)」という問題を、自らの創造力、考える力によって急速な学習能力を発揮したチャッピーは完成させます。コピー&ペースト(というよりバックアップか)することが究極的に正しいかどうかは問題ではありません。諦めることをしない。それが「学習プログラム」という下敷きにある「なぜ?」という「問い」と「解」を導くものだからです。

 今問題になっている「ゆとり教育」の弊害も、本来の意味としては「あまっている時間をどう効率的に使うか。問われたことに対して時間をかけてじっくりと考えてみることができるか」というものだったとわたしは思います。しかし、それの成功例はあまりにも少なかった。それが今の社会です。
 「詰め込み教育」というのは「可能性の芽」を摘んでしまうものでしょう。真に「ゆとり」ある教育というものを「考え、思考し、試す」ことで、はじめてヒトは創造力を発揮することが可能になるのではないでしょうか。

 この映画は近未来を描いたものですが、そこにあるSF要素はあまりにも少なく、またSF要素というものが必要でもありません。必要なのは、チャッピーの生き様に何を感じることができたか。それだけです。

 ま、これは個人的な感想です。ヒトは今でも創造力豊かに活躍している! と言われても、そうですか、としか言えません。文句は別にかまいませんが、わたしはこう思っているのですから。
2015-05-25 : 映画関連 : コメント : 0 :
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