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映画「GODZILLA ゴジラ」感想

 ハリウッド版ゴジラこと「GODZILLA ゴジラ」をみて来ました。
 今度のゴジラはマグロは食べませんでしたし、タマゴも産みませんでしたよ!
 ただし、その姿は日本版ゴジラよりもより、ゴツイ。昭和ゴジラのようなまるっこさでもなし、平成ゴジラのようなスマートさもなし。背びれはきちんとありましたが、これも日本版とはかなり相違点があるように思います。
 まさに生物学的な意味での怪獣(生物)に近い姿なのではないでしょうか(生物学なんて知りませんけどね!)。

 さて、肝心の内容はというと。
 意外なことに「放射能」=「核」との決別をメッセージに取り込んでいるように思えました。日本の原子力発電所や、アメリカの放射能廃棄物処理場、核爆弾や広島など。そして怪獣についても。
 問題解決に核を使おうとする人たちと、核を使っていいのかと悩む人たちの姿が描かれ、核はあってはならないもの。自然界における支配者とは誰なのか。
 また極限状態における家族愛にも触れつつ進むという、かなり詰め込んだ内容ながら綺麗にまとめていたと思います。日本のゴジラと比較してみると、最近の日本ゴジラよりは古き良き日本ゴジラをイメージしてもらえるとよいかと思いますね。たとえるならばビオランテとか。

 ※注意点として、本映画には「原子力発電所(メルトダウン)」「津波」「地震」「核(放射能)」「広島・長崎問題」などの描写が含まれます。それらに対して否定的な意見、PTSDを持つ方は、事前にあらすじや私のような視聴者の感想を確認をしてから視聴するか否かを決めたほうが良いと思います。

 今回のゴジラは元祖ゴジラに対するリスペクトが多く感じられる作品だった。要所要所に登場する過去作の用語や単語。ゴジラの声や行動ひとつとっても愛が感じられる。
 ゴジラといえば放射能によって突然変異したというのが日本シリーズの通説ではあるが、今度のゴジラは生態系の頂点に立つ存在として描かれている。
 それを通じて反核運動なども絡めており、敵の怪獣の存在もあって放射能に対する問題提起をしている。もちろん作品内で答えはでないから、自ら考える必要がある。


 以下ネタバレ含む感想。

 あらすじ。
 日本の原子力発電所で働く「ジョー(ブライアン・クランストン)」は、断続的に近辺で起こる振動に嫌な予感を覚え、原子炉の調査を開始する。しかし、大規模な電波障害と地震(のような巨大な揺れ)によって発電所はメルトダウンを起こす。ジョーの目の前……、防護扉の前で、妻の「サンドラ(ジュリエット・ビノシュ)」を失くすことになった。
 それから15年が経ち、ジョーの息子「フォード(アーロン・テイラー=ジョンソン)」は成長し、アメリカで爆弾処理を担当する軍人として生活していた。しかし、日本でずっと15年前の事件を調べ続け、逮捕までされたジョーのもとを訪ねることになる。
 しかし、再び謎の振動(音波)をジョーの装置が捉えた。ジョーはツテを使って発電所崩壊の真相を調べようと、侵入禁止区域に入り込む。だが、そこでは本来ばらまかれているはずの放射能が存在しておらず、軍のような組織に捕まってしまった。彼らは秘密裏に設立された多国籍組織であり、今回は地下深くで発見された謎のサナギのようなものを調べていたという。また過去の原爆実験はすべて、生態系の頂点にいる怪獣「ゴジラ」を殺すために行われていたとジョーに説明にする。
 そのとき、再び謎の振動が起こり、電波障害も発生する。日本人で生物学の権威「芹沢猪四郎博士(渡辺謙)」は、ジョーの持っていた15年前の振動記録と照らし合わせ、サナギがなにものかと振動を通じて会話をしていると判断した。またこれ以上の調査は再び原発崩壊のような大規模被害を起こすと考え、サナギの破壊を指示する。
 だが……、説き既に遅し。サナギは周囲から放射能物質を吸収しきり成体へと至っていた。殺害はならず、昆虫に似た巨大生物「ムートー」が翼を広げ飛び去ってしまう。
 そして、振動を通じて会話していた(アメリカの放射能物質処理場に捨てられていた)もう一匹のムートーも覚醒。さらに生態系の頂点に立つ存在「ゴジラ」までもが海中から出現する。
 放射能を喰らうムートーと、放射能をエネルギー源とするゴジラは互いに争う関係にあったのだ。アメリカ軍も決死の作戦を進行させ攻撃を続けるが、ムートーにもゴジラもにも打撃は与えられない。核でさえも両者には通じないのだ。
 だが、驚異的な力を持つゴジラは、ムートー二匹を相手にとり、アメリカの都市を破壊しながらも仕留めることに成功した。そうして、再び海の中へと姿を消すのだった……。

 終わり。

 大きく分けて、本映画にはみっつ(ふたつかな)のストーリーが両立して進行してゆきます。
 「家族愛と米軍による作戦行動」「ゴジラとムートーによる決戦」の2つです。そのため、ただ単にゴジラと怪獣が戦っていれば満足、という方は不満でしょうが、極限の中でどれだけの人を救おうと努力できるか。
 どれだけの決意を持って行動できるか、という「ガメラ」だとか「GMK」などに通じる描写も求めている人には非常にオススメできる内容です。ただ問題点として、どちらもやや消化不良気味である、というものを感じました。

 米軍の作戦行動はただ銃を撃ったり、蹂躙されるだけでひっかきまわしただけ、という印象を受けましたし(これは逆に自然に対して人間は無力であるという捉え方もできる)。
 ゴジラとムートーとの対決は2時間という時間上、戦闘描写やトドメの描写が短くなってしまう=それまで殴り合っていたものが一瞬でケリがつく(これもまた逆にゴジラの怒りによるものという捉え方もできる)という印象がありました。
 また「地震」「津波」「放射能」などに対して怒りやトラウマを持つ人にとっては厳しい作品なんじゃないかなぁ、というのもありますね。もちろん、この作品では、それらに対して「否定的」つまりあってはならないもの、という描写をしているのですが。

 つまるところ、この映画でなにが伝えたかったのか、というと、前述の「否定」というものもありますし、人間は自然を支配することはできず、ただ祈るだけしかできない。
 生態系の頂点であるゴジラは人にとってはまさに神にも等しい存在であり、自然の化身。そのゴジラにとって人間はとるにたらない存在どころか愚かな存在である=自然の中に生きる人という生き物は、放射能によってムートーをよみがえらしたように、自ら滅びに向かってゆくものである。
 そういったメッセージを受け取りました。まあ受け取り方は人それぞれなんで、ただ単にアクションパニック映画としてみるのもいいでしょう。

 しかし本作品における「ゴジラ」や「ムートー」という存在は、人々に忘れてはならない問題を想起させた、という点において評価できるものであり、そこが最大の評価点なのではないでしょうか。
 またゴジラが人が抗うことのできない自然の象徴であることも特徴的で、これは「GMK」の怨念の集合体というところに通じますし、ムートーが人の生み出した負の遺産を食べて生まれるというのは、日本映画ではよく見られる特徴です。
 しかし、ムートーは淘汰されるべき「生物」であるという点において、本作品の「ゴジラ」という「怪獣」という存在と比較してみると面白いのではないか、とも思いました。

 総じて、高次元にまとまった良きリメイク作品であり、新たなゴジラ概念やゴジラ思想を生み出したという点において成功した映画作品であったと私は考えます。日本のゴジラが迷走していったのに比べると、綺麗に一本にまとめたという点でも評価できるでしょう。これが続き物になるような描写が最後に入っていたら、私はもっと評価を下げていたでしょうし。

 ゴジラを生み出した日本の文化からみても、お見事、という言葉をおくりたいと思います。
 ちなみに、日本ゴジラに対するリスペクトもところどころに散見できます。それに気づくと、おおっ、と思うかも。

2014-07-25 : 映画関連 : コメント : 0 :
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