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映画「相棒 -劇場版3- 巨大密室!特命係 絶海の孤島へ」感想

 体調が安定してきたので見てきました。劇場版「相棒」第三作目「相棒 -劇場版3- 巨大密室!特命係 絶海の孤島へ」です。年々規模もテーマも大きくなってきていますねぇ。
 さて、「相棒」シリーズと言えば、杉下右京(水谷豊)の独特な言動と、そのときどきの「相棒(今回は甲斐くん)」との軽妙なやりとりを見せながら、伏線を張り巡らせ、最後に一気に回収するという手法が特徴の作品です。
 普段は冷静な杉下が、犯人や黒幕に怒鳴りつけるシーンももはやお約束ですね。彼も内心イラッ、としていることも多々あるのでしょう(笑)。杉下が頭を使い、甲斐くんが体を使う。頭脳と肉体の二つを組み合わせて、事件を解決してゆく……。
 相棒の事件は、凄惨なものも多いですが、根底にあるのは悲しい思いだったり、切なる願いだったりします。では、今回の作品どうだったのか?

 テーマは「国防」あるいは「自衛」という「言葉」の持つ「矛盾」になります。そして、犯人の主張に対する私の感想は、簡単に言えば「過激だけど、反論する言葉を持たない」というものでした。
 昨今の情勢を描いていて、見ながら、おいおい大丈夫かよとも思いましたが、あくまでもフィクションですから、あまり過敏になることはないでしょうが、それでも注視すべき問題を取り扱っていたと思います。目をそらしてはいけないなぁ……。
 まあ、あまり官僚を悪し様に言うのもどうかとは思いますが。自衛隊だって、支援活動をはじめ頑張っていますしね。一面だけでなく、総合的に自ら判断しないといけないものですよね。「人」って。

 「自分が殴られたとき、誰がやり返してくれるんですか? 友人がやってくれるんですか? いいえ、自分でやるしかないんです」

著者 :
NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン
発売日 : 2014-10-08
 劇場版相棒(スピンオフをのぞいて)3作目。
 毎回規模が大きくなっているが、今回もさらに規模が大きくなっている。
 「国防」の持つ意味を問われる作品だった。日本は戦争を経て「平和」を手に入れたが、果たしてそれは本当に「平和」であるといえるのか。
 「平和」という地獄のぬるま湯に浸ってしまっているのではないだろうか。そんな感想を持った。
 「平和」は何も暴力という単純な「力」のみで崩れるのではない。もっと簡単に、あっという間に崩れるものだ。

 以下ネタバレ含む感想。

 あらすじ。
 東京から離れた孤島「鳳凰島」。
 その島では大手実業家の支援のもと、元自衛官たちが民兵を結成するという理由で住み着き、民兵合宿志願者を集っていた。だが、ある日、長期合宿に参加していた予備役の男性「岩代」が、馬に蹴られ死亡するという事故が発生する。
 この事故を利用して、今は警察庁に移った「神戸尊(及川光博)」から、警視庁特命係の「杉下右京(水谷豊)」と「甲斐享(成宮寛貴)」は密命を受ける。曰く、民兵たちが「生物兵器」を製造しているかどうかの調査だった。

 事故の調査を隠れ蓑に、島に渡り調査を開始する杉下たちだったが、岩代の死亡事故が、実は不審なところの多い殺人事件だったことに気づく。だが、防衛省は、警視庁の刑事が島にもぐりこんでいることにピリピリしていた。
 捜査一課のいつもの三人(伊丹、三浦、芹沢)と鑑識課の米沢も島に渡り、ついに殺人事件に繋がる証拠を掴むが、自衛隊「特殊作戦群」の手によって拘束され、東京に無理やり送り返されてしまう。

 やはり、生物兵器製造の事実はあるに違いない。そのために「岩代」も殺されたのだ。
 自衛隊が証拠を隠滅する前に、杉下と甲斐は再び島に渡り、証拠を掴まなければならなかった。警視庁と防衛省。今、両者の思惑がぶつかり合うのだった。

 終わり。

 で、この後岩代の殺人事件も無事立証できまして、生物兵器についても現物を確保。民兵たちをテロリストとして一斉検挙することができました。しかし、お話は、これでハッピーエンドでは終わりません。
 民兵たちはなぜ、生物兵器などを造っていたのか。その理由は「やられたときに、やり返さないと、ただ滅ぶだけです」というもの。

 彼らは「国防」つまりは「自衛権」を行使するための最低限の準備をしていただけだ、と本気で語っています。本当に国防を考えるならば、原子力の平和的利用を考えるならば「全ての国が核兵器を保有するべきだ」とも。
 これは、ようするに「武力によって成り立つ平和」ということでしょうか。つまりは「核」を担保にした「平和」です。全ての国が核兵器を持つならば、待っている結果は「綱渡りの平和」か、たった一発放たれただけで「全面核戦争」しかありません。

 さて、核を落とされた結果はどうだったでしょう。
 都市は一瞬で灰と化して、人々は大勢死に、生き残っても被爆に苦しみ、何年も人が住めない環境が続く。
 そんな「核」を、果たして平和への道具として使えるでしょうか。冷戦時代の、あのいつ東西がぶつかるかという恐ろしい状況を「平和」と呼べるのでしょうか。

 現在。
 世界的に緊張が広がっています。時代は繰り返すといいますが、ならいつ戦争が起こってもおかしくはないのでしょうか。そんなときに、果たして「核」を全世界の国が持っていたら? 「やられたら、やりかえす」。なるほど、単純な考えです。
 こどもの喧嘩などは(いじめはとうぜん除く)成長に必要なものであれば許容できるのが社会ですし、単に「やりかえす」だけではないのですから。前に進むための一歩だから、言い方は古いですが「河川敷での殴り合い」というものが生まれたのだと思います。
 しかし、例えば「殺人」は許容していはいけませんよね。家族を理不尽に殺されて怒らない人がいますか? 犯人を殺したいほど憎いと思うはずです。でも、やりかえしはしません。それは「殺人」が恐ろしくいけないものだという道徳的考えもあるでしょうが、それ以前に「負の連鎖」しか生まないと本能で理解しているからです。

 これは個人、あるいはある程度少数での話です。
 少し歴史を見れば分かりますが、いくら「少数」が「異」を唱えても「集団」が「是」とすれば、是となるのが世界です。それが民主的国家のあり方です。多くの国民たちが報復に核を望めば、いくら上層部が異を唱えようと核を使用せざるを得ないでしょう。もし「核」を持っているのであれば。
 では「核」がなければどうなるか。必死に抵抗しても、圧倒的な暴力の前には無意味です。核を落とされ、落とされ。滅ぶだけです。

 だからこそ、私には反論すべき言葉が見つからないと書いたのです。だって、理想論でしょう。「皆、核を捨てて、原子力も捨てて、自然を大事に生きていこう」なんて言ったところで、誰が実行するというのです? どこの国が実行できるというのです?
 2000年代に入った今だって、世界各国で四苦八苦している問題です。頑張って、頑張って、それでも攻略できない問題が「世界平和」と「環境保全」です。
 現時点では、原子力は必須な存在ですし、悔しいですが核だって抑止力として成り立っています。大国が核を持って睨みをきかすだけで、小国は、多少でもひるむでしょうから。

 劇中でも、杉下も甲斐も悩んでいた様子でした。核を使うことも、生物兵器を使うことも間違っているとは言えます。
 じゃあ、どうすればいいの? そう言われると、何も言い返すことができません。殴られたら、殴られ続ける? 殴られたら、殴り返す? どちらが正しいのか。どちらも正しくないのか。

 人類は、出口のない問題に直面しているのかもしれません。でも、きっと、出口はあるはずなのです。解決できるはずなのです。何か、人々の心を変えることのできるきっかけさえあれば……。
 今までも、人類は平和へ向けて、着実と、前進と後退を繰り返しながらも歩み続けて来ました。だからこそ、私は出口があるはずだ、と考えます。私は、この映画を見て、そう感じました。

 さて、話は変わりますが、同じ「暴力によって成り立った平和」を取り扱った作品があります。
 それは「ドラえもん のび太と雲の王国」です。意外でしたか? この映画では、我々地上人とは別に、雲の上の世界に、絶滅した動物や植物などを保護している「天上人」と呼ばれる人々がいます。
 彼らは地上人の所業を見て、また動物たちの悲鳴を聞いて、地上を全て洗い流す「ノアの大洪水」を引き起こす審議をしていました。これはのび太やキー坊などの説得で回避できましたが……。

 問題はそこではありません。のび太はこの物語で、雲を集め固めて自由に遊ぶことのできる「雲の王国」を生み出しました。そこでは全てがソーラーエネルギーで動き、自然も豊富な、まさに「平和な国」の縮図と言ってもいいでしょう。
 ですが、そこに天上人が現れ、雲の王国を捨てて地上に戻るよう命令してきます。これは彼らにとって、天上人のことが露見するリスクをおかせなかったためです。

 ここでドラえもんは秘密道具でどういった行動をとったでしょうか? 見ている人は覚えているでしょう。非常に印象深いシーンです。
 「雲を溶かして水にするガスを放つ大砲」を用意したのです。これは、雲の上に住んでいる天上人にとってはまさに「核」に等しい兵器ではないでしょうか。これを放たれれば、せっかく保護した動物たちははるか下の地上へ落ち、天上人たちだってただではすみません。

 ですが、ドラえもんたちはこれを使うつもりはありませんでした。あくまでも「抑止力」として「交渉の材料」として使うつもりだったのです。ですが……。ここから先は映画を見てもらいましょう。結果だけいえば、大砲は放たれ、いくつもの天上人の雲は破壊されました(ドラえもんたちの意思ではないことだけ言っておきます)。

 ここで私が言いたいのは、いくら「抑止力」としての「武力」を求めていても、「絶対に使われない」ということは「ありえない」ということです。一部の暴走か、あるいは国全体の意思か。
 いずれにせよ「武力による抑止力」は「相手を攻撃するための武力」でもあるのです。だからこそ、今の世界では、すみやかな核の廃棄が願われているのです。それが日本人として願うべきことのひとつではないでしょうか。

 私は、文章や博物館、講演会などで「核」や「被爆」についての話を聞いて来ましたが、聞けば聞くほど恐ろしいものだと感じます。それは原子力発電所の事故で発生した大量の被爆者も、より強く感じているはずです。
 発電目的の原子力。そのたったあれだけのメルトダウンで、ここまでの被爆被害がでるのです。それ以上の威力を持つ、破壊兵器である「核」ひとつでも落ちれば……。

 薄ら寒いものが、あります。

2014-05-18 : 映画関連 : コメント : 0 :
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