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小説「永遠の0」感想

 読み終えていながら、公開するタイミングを逸していた作品「永遠の0」の感想になります。著者は百田尚樹氏。
 今回映画も公開するということで、ちょうど良いですね。

 読むのに時間はかかりましたが、それに見合うだけの面白さがありました。
 いや、面白いって言って良いのかな。どれだけ私が無知な存在なのか、ということをまざまざと見せ付けられた気分です。
 ただ淡々と現実を見せ付けられている、そんな感じでした。
 戦争を取り扱った本や映画などの作品は今までにもそれなりの数を見ましたが、ここまで泣かされたのは久しぶりです。

 戦争で本当の祖父を亡くしたと聞いた姉弟が、その祖父とともに戦争を経験した人たちの話を聞いてゆく、という形で物語は進みます。

 圧倒的な臨場感を持つ作品。
 とある姉弟が、戦争での特攻で死んだ祖父のことを調べることになり、祖父と戦争を経験した戦友たちから話を聞いてゆく形で話は進む。
 メインとなる「ぼく」にどれだけ感情移入できるかで、読み終えての感動の度合いも変わるだろう。

 しかし、途中の軍人たちの話も、涙なくしては読めない。
 小説としての物語性を持たせるため、多少の脚色はあるだろうけれど、それを考えても非常に現実感あふれる文章だった。

 こういった作品を通して、少しでも「戦争」のこと知り、戦争を「過去」の出来事にしてはいけないんだと思う。

 誰が「悪」というわけじゃないんだけど、国を信じて戦った当時の人々の苦悩を思うと、やるせない気持ちになる。
 そして、身勝手な人々と、他者を慮れる人々の対比が辛い。


 以下ネタバレ含む感想。

 あらすじ。
 祖母を亡くした佐伯姉弟は、祖父「賢一郎」から「私はお前たちの本当の祖父ではない」と告げられる。二人の本当の祖父は、戦時中に亡くなったのだと言う。
 海軍の飛行機乗りだった祖父「宮部久蔵」は、終戦の数日前に、神風特別攻撃隊員として戦死したことを知った二人は、姉の提案で自らのルーツを探るべく、祖父のことを調べることを決めた。

 フリーのライターをしている姉と、定職についていない弟の二人は、時間だけは自由にあった。戦時中、祖父と共闘した人々の話を聞いてまわってゆくと、祖父の像がおぼろげながら見えてくる。
 「天才だが、臆病者」「優秀だが、勇敢ではない」……、しかし、辛らつな言葉ばかりでもなかった。「生き残ることの大切さを教わった」「今、あなたたちに宮部さんのことを話すために、私は生き残ったのだ」と涙ながらに語る人もいた。
 「あの人こそ、日本に必要だった」「私は、あの人を守ることができるなら、特攻してもいい」「俺は宮部を守れなかった。許して欲しい」「あの人は、自ら生きる道を捨てたのです」。

 話を聞くごとに、最初は気乗りしていなかった弟「健太郎」が、精力的に行動するようになった。祖父のことを知るたびに、不思議と、(今こそ知るべきだという)運命のようなものを感じていたのだ。
 宮部の後を追い続け、二人は最終的に、今の二人の祖父賢一郎の元にたどり着く。そう、彼こそ、最後に宮部と会話を交わした人物だったのだ。

 宮部は特攻に行く際に、教え子だった賢一郎に乗り込む「零戦」を交換してくれと提案していた。そして、賢一郎が乗りこんだ零戦は、不調により特攻せずにすんだのだ。
 宮部は、零戦の不調を見抜き、自ら生きる道を捨て、最後まで人を思いやって死んだのだ。

 こうして、二人の旅は終わったのだった。

 終わり。

 軍人たちが語る「戦争当時」と佐伯姉弟が過ごす「現代」との視点を行き来しながら、物語は進みます。しかも、それぞれの話が最後につながり、強い衝撃を受けました。
 感情移入してしまって、涙があふれて読み終えるまでにかなりの時間が経ってしまいました。

 非常に、内容がリアル。軍人たちの話は、まるで目の前で語られているかのようです。

 ラバウルで、朝食の席で「大福を食べたい」とこぼしたある戦闘機乗りのために、烹炊員が一所懸命に大福をこしらえた。しかし、夕食の席に彼はいなかった。誰も彼の席に置かれた大福を食べなかった。

 戦争中は英雄ともてはやしたのに、終わると戦争犯罪人として村八分。

 煽るだけあおり、自らは責任を取らない上層部や官僚、新聞社などのマスコミ。

 こういった文章を読むたびに、なんともいえない切ない気持ちになりました。

 宮部は、臆病者とののしられようとも、「生きることの大切さ」を知っていたからこそ、生きたい、娘の元に帰りたい。その想いから、真の勇気を持って、絶望的な状況の中でも、生き残ってこれたのでしょう。
 しかし、彼は優しすぎました。死にたくないと思いながらも、国を愛し特攻していった若者たちの屍の上で生きていることは、彼にとって耐え難いことだったのでしょう。

 そして最後には、(訓練中に飛来した敵戦闘機から守ってくれたことがある)賢一郎を助けるために、死ぬことになりました。

 私の家族でも、戦争で亡くなった人がいます。そして生き残った人も。しかし、あまり詳しい話はしてくれませんでした。その理由も、この本を読めば、少しは分かったような気がします。気がするだけでしょうけれど……。
 やはり、真の意味で理解することはできないし、簡単に分かったような気持ちになることもいけないことだと思います。
 「遺書に込められた想いを読みとる」ことは、私にはできないし、努力しても無理なことでしょう。けれど、そういった想いを持つことこそ、大事なことなのではないかと思います。

 訳知り顔で解説をする「有識者」には、今までも疑問を覚えていましたが、やはり変だな、とこの本を読み終えた今ではよりいっそう思います。

 しかし、この本では官僚やマスコミに対してやや辛らつな書き方をしていましたから、そこが気になる人には気になるかもしれません。
 作者は、責任の擦り付け合い、責任を取らずに逃げる人々を見て、「責任」に関して非常に強い思いがあるのだと思います。

 「平和」という地獄に、今の日本はあるのではないでしょうか。
 だからこそ、戦争を知らない人にこそ、今の責任転嫁ばかりする社会に馴染んでしまっている人にこそ、この本を読んで欲しいし、こういった媒体を通して、十年先、百年先に伝える努力をすることが必要なんだと思う。

 戦争を戦い抜いた彼らの支えの上に、そして現代でも他者の支えの上に私たちは生きていることを、忘れてはいけない。
 決して風化させてはいけないことだし、どこかで考え続けなければいけない問題です。

2013-12-04 : 本(小説・漫画)関連 : コメント : 0 :
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